【20210604】科学精神が探究する「確固不動の認識土台」とは 令和哲学カフェNo.248

おはようございます。ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ第3期7回目テーマ
「令和哲学とは」からお届けします。
一昨日の哲学討論テーマは
哲学の用途機能とは何なのか?
なぜこの時代に哲学が必要なのか?
から始まりました。

科学の終焉が叫ばれる
シンギュラリティの中で
哲学の用途とは何なのでしょうか。
皆さんは、科学の終焉が、
哲学の始まりであることを
納得できるでしょうか。

そして科学が
これ以上人類を導くことができない
というのであれば、
なぜそう言えるのでしょうか。
科学と哲学の違いは何なのでしょうか。
科学にはどのような限界があり、
そこに対する哲学の
用途・機能とは何なのでしょうか。

「確固不動の認識土台」を得たい。
それが今の人類の
ライフスタイルを生み出した
科学精神だと思います。

古代中世の神を信仰する時代から、
個人が目覚め、
天動説から地動説の革命をおこしました。
信じる世界ではなく、
徹底的に疑うことから始まり
疑っても疑うことができないもの、
徹底的に実験して
誰もが同じ結果が出るものだけを
認めようとしてきたのが科学精神です。

その結果、存在の秘密を明らかにさせること、
宇宙がどのようになりたっているのか、
どういう仕組みで生まれているのかの探究は、
数学・物理学にお任せ
の状態になっているのです。

科学と哲学を大きく分ければ
科学は認識対象を開発・開拓するもの
哲学は認識主体を開発・開拓するものです。
今の時代は科学技術の発達の結果、
体の内にも
チップを入れてしまう世界になっていますが
体自体も実は認識対象にすぎないのです。

認識をする主体が何なのか。
そのことがわからないと
哲学の勉強は始まりません。
今までの偉人たちもプラトンは「イデア」、
ニーチェは「Will to Power」、
フッサールは「純粋意識」など
いろいろな表現をしてきました。

しかし絶対世界「1」を
「確固不動の認識土台」として
明確に規定することができていないので、
今までの哲学では限界なのです。

令和哲学では、
本物100%の認識主体である
絶対世界「1」を明確に規定していきます。
宇宙自然、環境に依存して
自分が生きているのではなく、
自分によって宇宙自然すべてが
成り立っている、
そのすごすぎる自分を探すことが
哲学の用途・機能なのです。

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