【20221219】覚悟の磨き方 令和哲学カフェ No.614

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ6期テーマは
「アモールファティ ~集団武士道の進化~」
をテーマにお届けします。
5人の21世紀SAMURAIたちが、
各曜日を担当しながら
宮本武蔵、新渡戸稲造、坂本龍馬、
吉田松陰、山本常朝(葉隠)を深めています。

金曜日は長岡美紀さんによる
葉隠の行動哲学を深め、
侍の「覚悟の磨き方」について考えました。

武士は生か死かといえば迷わず
「死ぬこととみつけたり」と死を選びました。
なぜそれが可能だったのでしょうか。

侍にとっては死は一般的な人間の死ではなく、
武士としての本質からの死と、
武士としての生を全うするための死でした。
どんなに勇猛な武将でも
戦場で死の危険が迫った時は、
恐怖で目の前が真っ暗になるのが
真の人間の姿と言います。
戦場での武士の2つの失敗は、
考えが出てしまう事と、
本能的な恐怖に負けてしまうことです。
これらが起こらないように
毎日鍛錬していました。

分別をすべて捨て、
死狂いの境地で生きることは、
侍が自分にいつも問うことでした。
死狂いの裏側に生の全うがありました。
死を突破した先には
真の命、真の強さがあります。

令和哲学では
今ここが生死の反復で成り立っています。
ですから、一般的な死の恐怖はありません。
現実という心がない脳の世界で、
死の中の死を選択することです。

武士道は心を大事にしていく世界なので 
生命は命令されている側となり
生の中の死は奴隷になることを意味します。
そんな人生を過ごすものかと
自分の決断と覚悟を貫き
共同体の終わりなき進化発展ために
精神を大事にします。

吉田松陰のように
700年後の人も泣かせるくらいの
自分の言葉・行動を残そうと、
体の命に依存せず、恥が起きぬよう、
永遠になる共同体の歴史の上に
自分の言葉行動を勝負するのです。

いつも刀を持っていた時代の日本は
「脳に負けるものか」の精神が立っていましたが、
今は刀がスマートフォンになり、
西洋文化で考えが多くなっていきました。
けれども脳機能と心機能を完璧に
分離、分解ができているnTechが完成し
真理の刀という
無駄な考えを斬る道具ができています。
日本文明のアモールファティと共に
共同体完成、集団武士道の進化が起きます。
偉大な歴史が日本から
全世界に広がっていくのは間違いありません。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク