【20240821】今ここ歓喜大爆発を悟りの世界に起こすには何が必要か? 令和哲学カフェNo.940

おはようございます、ノ・ジェスです。

毎週金曜日に開催される
令和哲学カフェは、第2ラウンドとなり
脳機能を心機能化させるnTechの観点から
「死」を新しく解析していきます。
ハイデッカー、キューブラー=ロス、
西田幾多郎、釈迦の死の世界と
これらをまとめるメタ4で整理します。

第940回は、小島瑠夏さんより
釈迦について
プレゼンテーションがありました。

釈迦は、紀元前463年
ネパールの釈迦族の王子として生まれ
結婚もしましたが、
29歳の時に老・病・死の
恐怖・苦しみからの解放を求め出家し、
アラーダ仙人からの学び・苦行や瞑想の末、
35歳の時に覚者ブッダとなりました。
般若心経は、
最も短く真理について語ったお経です。
釈迦は、言葉では
表現できない・伝わらないことを
「不立文字」「一語不中」
という言葉で残しました。

ディスカッションテーマは
「今ここ歓喜大爆発を
悟りの世界に起こすには何が必要か?」
でした。

釈迦の悟りに
歓喜大爆発が起きなかった理由は、
釈迦の問題意識が生老病死にあって、
観点・判断基準の問題にまで
気付けなかったからです。
人間には水一滴、酸素一滴さえ
つくり出せないのに、
分離・独立した体が人間・
体が自分と思っていては
正確な問題意識は持てません。

目がみえない人たちには
「真っ暗で見えない」という
共通土台1がありますが、
模様・形でみてしまうと、
一人一人みえるものは違うので
共通土台0です。

そして、
「みえていても誰とも共有できない状態」
を知らない共通土台0では、
チームプレイができないので
意思疎通の歪曲が必ず起きます。
つまり、目がみえないよりも、
目の前の現実が模様・形でみえてしまう方が
深刻なのです。

共通土台無限大になるには、
不可能性そのものの自分に気付き、
オールゼロ化して無限大可能性に到達し、
「なぜ無限大可能性が
不可能性そのものの自分を必要とするのか」
という仕組みを知ることです。

その時、間の概念が生まれ、
間の概念によってスクリーンの外と
バックスクリーン・映像スクリーンの関係が
分かります。
そして、なにが思い込みの泡で
なにが実在するビールなのか
という有無のパラダイム転換が起き
完全循環に至ります。
また、心・エネルギー・物質を行き来する
純度100%心の動きをあらわした
完全言語が生まれます。

この世界は言語でできていますが、
言語で考え言語が感覚でもあるので
不完全言語のままでは限界に来ています。
しかし、これまで使ってきた不完全言語から
完全言語を使うことによって、
問題解決ができます。
映像スクリーン・バックスクリーンは
思い込みの泡で、
本当に実在するのは今ここしかありません。
完全言語を使うことで
今ここ すっきり歓喜になれるのです。

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