【20201002】ニーチェと令和哲学の比較と整理 令和哲学カフェNo.91

おはようございます。ノ・ジェスです。

いつもカフェへご参加いただき
どうもありがとうございます。

「ニーチェと令和哲学」最終日は
両者の比較と整理をしました。

200才まで生き、200兆のお金と、
いつでも語り合える200人の友人を持ち、
1分で200回縄跳びが飛べるほど
健康な状態だとしても、
人間は幸せを感じられません。
だからこそ哲学が必要になります。

ニーチェは永劫回帰という思想の中で、
今の自分の行動は何度生まれ変わっても
繰り返すと言っています。
ですから、今起きている悪いことを耐えて
未来に天国に行くと言う考え方ではなく、
Will to power(権力への意志)をもって、
いつも今までの自分を超えていく
超人として生き、
あなたの意味を自分でつくるライフスタイルを
貫くことを訴えました。

それは令和哲学では、
人間とは、現実とは、生きるとは、と
これらに対して明確な答え、
つまり完全認識を得て、
本当の自由で生きることにつながります。

しかしながら、
ニーチェをはじめ、西洋の哲学者の中で、
ビン鳥※の外の世界をみても、
源泉的動きそのものからビンの中に入り、
完璧に77億人類を次元上昇させられる
論理を語れた人物はいませんでした。

なぜ源泉的動きであるビンの外の世界が
ビン鳥の世界を必要としたのか、
また、ビン鳥の世界が生まれる仕組みを
鮮明に語れる人はいなかったのです。
令和哲学ではビン鳥の外と中の関係性を
明確に伝える道具の発見、発明がありました。

哲学の本当の機能は感覚をつけることです。
それができなければ、偽物になるのです。
ピアノの達人がもつ感覚のように
哲学も感覚を持つべきだと考えています。
今ここ完全観察ができる感覚をつけることです。

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