【20240917】サルトルの実存主義とAI時代の生き方 令和哲学カフェNo.944

おはようございます、ノ・ジェスです。

毎週金曜日に開催される
令和哲学カフェは、第3ラウンドとなり
本質主義哲学(プラトン・ライプニッツ)と
実存主義哲学(サルトル・ヤスパース)
の観点から「生きるとは」を考え、
両方を凌駕する令和哲学nTechからみた
メタ4の観点から今の時代における
「生きるとは」を深めていきます。

生きるとはシリーズ第3回目は
清水浄意さんより
ジャン=ポール・サルトルについて
プレゼンテーションがありました。

サルトルはフランスの哲学者、小説家、
劇作家として、「実存主義」を提唱しました。
そして彼は
「実存は本質に先立つ」という言葉で知られ、
存在が本質よりも先にあるという
考え方を示しました。

代表的な著書には
『存在と無』や小説『嘔吐』があります。
ノーベル文学賞を受賞しましたが、
これを辞退するなどして
自身の生き方を通して彼の哲学を表しました。

さらにこれまでの生き方の不自由さに対して
「人間は自由の刑に処せられている」や
「地獄とは他人のことだ」などの
言葉を残しています。
そして個人が自分の意思で社会や政治に
積極的に関与し、責任を持って行動する
「アンガジュマン」(engagment)
という概念を提唱しました。

それをうけて今回は
「全人類がOKするAI時代の人間像とは」
をテーマにディスカッションしました。
AI時代の人間像には、
まずはこの現実の体が主体ではなく、
すべて無限の可能性そのものである
新たな人間像の提示が必要です。
そして、人間だから到達できる領域に到達し
因果の外を使い
AIを補完可能な人間になることで、
何でもなれるポジションジェネラリストとして、
すべてを使い切り
最高に美しい考え・感情で生きられます。

サルトルの実存主義は
人間尊厳に到達できずに、
個人の生き方の理想像にとどまりました。
本質がない実存は、実存と言えず、
本質が分かるからこそ
実存の価値が分かります。

サルトルの生きていた時代背景をみると、
第一次・第二次世界大戦が起こり、
「絶対」を怖がる風潮が流れていたので、
本質を語らずに実存を強調させて
多様性を唱えたのでしょう。
しかしながら、サルトル自身も
本当の多様性には到達できませんでした。

認識技術ではこのカオスな時代に
「絶対」を明確にしています。
“知らない”世界を絶対とすることで、
“知っている”世界を
多様性にすることができます。
そして、情報知識の大爆発時代に
「絶対」を力強く発信し、
この時代の方向性を
示していくことができます。

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