【20201024】フッサール現象学と令和哲学 令和哲学カフェNo.104

おはようございます。ノ・ジェスです。

一昨日は令和哲学カフェ第104回、
「フッサールと令和哲学」2日目
が開催されました。
いつも多くの方にご参加いただき
ありがとうございます。

「全てが自分の意識であるのに、
意識の外に客観的世界が実在するという
確信が生まれるのはなぜか」
という哲学的なテーマで
WHTに取り組みました。

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」
を無意識をとりいれて拡張解析すると
存在が不可能な場所で私は思っているのであり、
考えることができない場所に
私は存在しているとなります。
二つの場所には途方もない距離感があります。
この二元論を一つに統一しよう
とするのが現象学です。
令和哲学で言えば、実在しているのは、
考えの生まれないビン鳥※の外の世界、
源泉的動き「1」だけであり、
ビン鳥の中はすべて思い込みの主体が
思い込んでいる錯覚世界です。
つまりビンの中外の関係性は源泉的動き「1」が
夢をみている世界ということです。
このように令和哲学で解析すると、
ビン鳥の中と外と言う概念を用いて
二元論を統一できるので、
現象学も理解しやすくなります。

フッサールの現象学では、
現象には意識が働いていると説明するので、
他者を決めつけることで
他者から自分も決めつけられるものだということです。
他者を物質でみれば自分も物質でみられ、
他者を動きでみれば自分も動きになります。
脳を使ってこの体が自分と思っている状態を含めて
「意識」とすると、
結果的にこの錯覚の主体が悟ることで、
ビン鳥の外に出て、フッサールの「純粋意識」にも
到達できることになります。

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