【20201107】言語の限界をどう超えていくのか 令和哲学カフェNo.114

おはようございます。ノ・ジェスです。

昨日は第114回令和哲学カフェ
「ウィトゲンシュタインと令和哲学」2日目
が開催されました。
毎回多くの方にご参加いただき
ありがとうございます。

ウィトゲンシュタインは言語の限界を語り、
哲学の終焉とまで言い切った哲学者です。

その言語の限界とは、どういうものでしょうか。

例えば、「雨が降る」といいますが、
降らない雨はあるのでしょうか。
よく観察すると、
このように表現がおかしいことがあります。

「道可道 非常道
名可名 非常名」
タオ(道)を
「タオ(道)」と名前をつけてしまったら、
常に変わることのない
タオ(道)ではなくなってしまう。
名前をつけて言語化することが
どれだけ限界なのかについて、
老子道徳経では言っています。

WHT※参加者の5人が、
誤解やすれ違いのエピソードを
話してくれました。
このような言語の限界は
皆さんも経験したことがあると思います。
今回は「言語の限界をどう超えていくのか」
をテーマに、集団コミュニケーションワーク
WHTにチャレンジし、
それぞれの意見をストーリー立てて
一つに融合させていきました。
参加者の皆さんのストーリーは以下です。

1、相手を理解する心があれば
2、諦めないで伝えようとし
3、伝わらないから、
思い込みをすぐに手放す鍛錬をする
4、そうすると、究極にたどり着く
5、そして、伝わらない言語を
ゲーム感覚で楽しむようになる

私が作ったストーリーは以下でした。

1、究極の人間そのものにまでなったら
2、ビン鳥※の中外をいったりきたりして、
ゲーム感覚を楽しめる
3、楽しめるから諦めないし
4、相手と交流して
すぐ思い込みを手放すこともできる
5、その中で相手の一番共感できる言語から
相手に伝わっていく

とても楽しそうに5人が話して下さったので、
私も説得されてしまうくらい
大変に和やかな会になりました。

ウィトゲンシュタインは、
哲学自体は言語で語れない世界なので
新しい認識形式が必要だと解析していました。
これからは言語の限界、学問の限界を超えた
完全学問が必要な時代です。

次回の令和哲学カフェは
11/9(月)21時からです。
次回もWHTがあります。お楽しみに。

※用語集はこちら。
https://reiwaphilosophy.com/community/knowledge-base/words/

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