【20201113】ウィトゲンシュタインと令和哲学 令和哲学カフェNo.117

おはようございます。ノ・ジェスです。

一昨日は第117回令和哲学カフェ
「ウィトゲンシュタインと令和哲学」5日目
が開催されました。
毎回多くの方にご参加いただき
ありがとうございます。

今回はウィトゲンシュタインと令和哲学の
まとめと質問道場を行いました。

ウィトゲンシュタインは、
真理の基準点を客観から主観に移動させた
カントと並び、
哲学のパラダイムを大きく変えた人物です。
哲学の問題は思惟が問題なのではなく、
思考を表現する言語のあいまいな使用法式に
問題があるとしました。
思考可能なものは言語で表現できますが、
思考不可能なものは
言語の器に入れることはできないので、
この2つの境界線を明白にすることが
哲学のエキスだと言いました。
ウィトゲンシュタインの前期の哲学では
世界と言語の関係は1:1の対称性である
と考えていたのを、後期では
「どんな人が、どんな状況で、どう使うのか」
によって言語の意味、価値、本質が
規定されると改めました。
日常言語が哲学になったのです。
人間理解という点では、言語の使い方、
表現を理解することだと述べました。

しかし、令和哲学で言えば、
人間は見える領域も、考える領域も、
言語で表現できる領域も、
傾聴できる領域もバラバラなので
コミュニケーションがずれていくことは
避けられません。
「理解の限界は言語の限界」
と表現できるほど、言語を使うことが
どれだけ大変なことなのかがわかります。
言語の限界に対してウィトゲンシュタインは、
言語の問題を学問が知った時、
学問が挫折するだろう、
その時新しい認識形式が必要となるだろう
と言いました。

令和哲学は思考可能な世界と
不可能な世界との関係性を明らかにし、
言語の問題を解決する新しい認識形式と
新しい言語を開発しています。

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