【20210713】ポスト解体主義の哲学 令和哲学カフェNo.274

おはようございます。ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ第3期の第4弾は
「ポスト解体主義=シン・人類補完計画」
とテーマを一部整理して
後半の週をスタートしました。

神の概念の時代には、
全ての根源である神に価値があり、
人間の世界は神の被造物だという考え方から
形而上学が生まれました。

そのあと科学、数学の時代にデカルトが
「われ思うゆえにわれあり」と
人間が主体となる考え方を出し、
カントも登場し、
普遍的な真理を強調する世界から
主観に移動させました。

哲学のアイデンティティを
理性を使ってしっかり整理し、
科学の世界を哲学化することに成功しました。
その後ポストモダニズムで
主体を解体する流れになっていきます。

ニーチェが「神は死んだ」と唱え、
この世界は神からつくられたという
盲目的信仰にショックを与えました。
しかし令和哲学では当たり前になっている
「人間と人間の宇宙は実在しない」
ということが西洋の哲学は
言い切れませんでした。

その手前の
すべての言語、概念を解体しようとし、
ハイデッガーも『存在と時間』で
形而上学の解体を試みました。

言語で名前を付ける前は「存在」ではなく、
すべてつながった世界、
つまり源泉動きですが、
そこからどうやって存在になっていくのかを
一貫して語れる哲学者がいませんでした。

言語によって感覚も感情もすべてつくられ、
決定されてしまいますが、
因果に支配される理性を使って
思考論理を展開することを否定し、
人間の本質は理性ではないと、理性を解体し、
さらに主体を解体させようとするのが
現代哲学です。

しかし、言語の限界を知らないままで
哲学を語るためにどんどん複雑になってしまい、
結果「哲学はわからない」
ということになってしまっています。

「仏に出会ったら仏をころせ」
は禅の世界での言葉ですが、
これは何を意味するかというと、
あなたの上に誰もたたせるな、
人間一人一人が尊厳であり、
宇宙最高の存在なのだからと説いています。
すごすぎる自分で生きる道を
案内するのが本当の哲学なのです。

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