【20221008】新渡戸稲造『武士道』義について SAMURAI哲学 令和哲学カフェNo.564

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ第5期
「Dignity Routine ~尊厳習慣~」
現在は「SAMURAIを哲学する」
がテーマです。
5人の21世紀SAMURAIたちが
各曜日を担当しながら
宮本武蔵、新渡戸稲造、坂本龍馬、
吉田松陰、山本常朝(葉隠)を深めていきます。

火曜日は塩見典子さんと5人の参加者で
徳目の義について深めました。

精神の修養によって
その身に得た優れた品性、人徳である徳を
ジャンルごとで分類したものが徳目です。
新渡戸稲造は武士の徳目の中でも
義は最も厳しい教えと説きました。

義の本来の意味は「正義の道理」です。
それが次第に世論が果たすべき義務と
世論が期待する
漠然とした義務感を意味するものに
変化してしまいました。

塩見さんは義を
江戸時代の経世論家、林子平の言葉から
道理に任せてためらうことなく決断する心、
つまり決断力としました。

令和哲学からみると、
この現実とつながった義を整理する時、
源泉動きがどうしてこの
絶望で地獄である現実を生み出しているのか
その整理整頓が起きることで
何が本当の問題なのかがわかります。
根本は言語が問題です。

永遠不変の心になってみると
それが鮮明にわかり、
解決策も明確にわかります。
一義が立って、大義が立って、
正義が立ちます。
自分は今回の人生はこれでいく、
と精神が立つこと、それが正義です。

根本問題からの解決には
存在が動く言語ではなく
動きが存在させる言語が必要ですが、
人間と人間の宇宙が
実在するのが当たり前なのに
実在しないと言うことは
大変勇気が要ることです。
道理に沿ったものだから
やるしかないのですが
決断と覚悟するにも勇気が必要なのです。

そして自分の義に対して
絶対負けてはいけません。
必ず具現化するには
兵法をマスターしなければならないですが
一番強い相手である神を制圧して、
神を言語化して
自由に使うクリエイティブを発揮し、
神に勝った自分を消した時には
集団の武士道に行くことができます。

その境地に到達した時の義は、
宮本武蔵の五輪書に、
恥ずかしさを思うこと、死ぬべき時を思うこと、
これがあれば義に沿うとあります。

刀の刃の上の心、
誰も歩んだことのない道を勇気をもって歩み、
恥ずかしさを思って、死ぬべき時を思って、
兵法なら絶対負けるはずがない、
と集団の武士道の境地まで行く日本は
恐ろしいほどです。
その確認ができたと思います。
大変感動しました。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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