【20231004】ドイツ哲学者ニーチェからみる言語の限界 令和哲学カフェNo.790

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ7期は9月11日より
新しいテーマが始まりました!
新しいSAMURAI5人と共に
「人間とは」を深めていきます。

金曜日の侍は長岡美妃さんです。
今回はドイツの哲学者ニーチェの
「自己超克」を題材とし、
言語のテーマも取り入れた
プレゼンテーションがされました。

私たちは言語表現をよく使っていますが、
最近は本当に主語S・述語Vが
言語だと言っていいのだろうか、
と考えています。

現実がどこから来たのかを、
言語で表現できるならば
それは人間誰もが知りたいと思うことです。
私たちは
映像スクリーン・バックスクリーンを取り入れて
1-5-1言語でみるのが
当たり前になっていますが、
7万年前の原始人が
動物と戦うためにつくった
SV言語が使われている世界は
映像スクリーンの中の
勝手な決めつけの世界です。

今の時代は
完全言語が生まれるべきだと思います。
思考の限界や理解の限界、存在の限界は
実は限界ではなく、
不完全言語による言語の限界です。
不完全言語は、
全体の動きを認識できないようにさせ、
人間関係も
うまくいかないようにさせるのです。

ニーチェは「神は死んだ」と言いましたが、
「人間と人間の宇宙が実在しない、死んだ」
と言ってしまう方が
オールリセットしやすいですね。
「神は死んだ」とだけ言ったので、
この現実を理解する道具が
なくなってしまいました。
逆に、「人間と人間の宇宙が死んだ」と言えば
宗教の神も虚構ということになります。
そうすれば、
すべてを新しく整理することができます。

哲学の問題は言語の問題です。
言語で表現できない究極の世界について
カントは「物自体」と表現したり
ウィトゲンシュタインも
言語の限界を語ったりしていますが、
言語自体をどうすれば
完全言語にシフトできるのかまでは
誰も到達しませんでした。
究極の世界はわかろうとすると難しく、
わかってしまったら簡単すぎる世界です。
これからは皆がわかってしまう時代に
突入するから楽しみですね。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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