【20240520】AI時代に人間の究極の規定はどうなってくるのか 令和哲学カフェNo.925

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を今まで開催してきました。
ここからは、今まで
令和哲学カフェで登場した
哲学者たちのまとめをしていきます。

今回はマルティン・ハイデガーと
ジャン=ポール・サルトルについて、
それぞれ森貴司さんと善家圭さんから
プレゼンテーションがありました。

ディスカッションテーマは
「AI時代に人間の究極の規定は
どうなってくるのか」でした。

ハイデガーは
フッサールの純粋意識(スクリーンの外)を
現実に使うことに対して
学問になり得ないので限界であるとし、
今ここの現存在を徹底的に研究しました。
存在とは何かについて
神など本質の形而上学ばかりにいくことに
問題意識がありました。

nTechでは、一般的なエゴの存在は、
観点の問題によって無限大我慢して
合わせて演技を演じていますが、
その存在をEGO16実存と言っています。
その自分が
不可能性そのものの自分(1秒も存在不可能)
に出会うことで無限大可能性の自分
(スクリーンの外、宗教の神より9000兆倍
すごすぎる自分)に出会います。

そして、無限大可能性の限界を突破して
宗教の神より9000兆倍すごすぎる
自分が生まれてしまうことを
「不二」の自分と言っています。
これはドラマ、物語を持つべき自分です。
不二の自分も明確に分けたら
完全認識を通して個性完成します。
さらに個性完成のレベルに留まらずに
完全行動の結果、
個性が溢れる共同体完成になります。
ハイデガーが知りたかったのは
この境地の「自分」だと思います。

ハイデガーは人間の死に対しての
姿勢態度がないのは存在ではない、
なぜなら生死を超えないと
意味・価値が生まれないということは
理解していました。しかし、
意味・価値を生み出すための
時間空間がある点、
時間・空間がない点までは
細かく語れませんでした。
つまり体系的秩序の
最小単位がなかったので
不二の世界が語れませんでした。

サルトルは本質より実存が重要だと言い、
やはり不二ではなく二が生まれてしまいます。
人間の実存は行動しかなく、
神のない世界では、
人間の選択行動によって
世界や存在が決定されるとしました。
サルトルからは歓喜のエンジンがみえません。
不二がないので歓喜が全くなく
エンジン自体が絶望、不安で
今ここ遊び感覚、ゲーム感覚が不在でした。

西洋哲学では宇宙・自然を
説明できる道具(言語)がありませんでしたが、
nTechの映像スクリーン、バックスクリーン、
スクリーンの外の概念を取り入れれば
現実を説明できます。
AI時代はデジタル言語があれば、
西洋の悩みをすべて解決でき、
哲学完成となります。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが一週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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