【20120513】建前文化が生み出した無縁社会 

おはようございます。Noh Jesuです。

このメールマガジンでは、「和の産業」「悟りの産業」を実現するためのキーワードを、毎日発信しています。

先日から、宗教に対する日本独特の現象について、観術を活用して私なりに整理してお伝えしています。

建前が当たり前になった日本社会で、「思っていること」と「言うこと」が一致しない人たちの中にずっと身を置いて人間関係を構築していると、どのような問題が生まれてくるでしょうか?

たとえ相手を理解しようとして、相手の立場や環境やポジションに観点を移動してみても、相手を理解することができません。
なぜなら、相手自ら、自分自身の主義主張が定まっていない状態だからです。

日本社会では、相手の立場やその場の条件・状況に合わせて表現を変えること、つまり、空気を読む、場をわきまえるといったことが当たり前になっているため、自分の本心が「Aに合わせているa」なのか、「Bに合わせているbなのか」、「Cに合わせているcなのか」、わからなくなってしまうのです。

この日本特有の建前文化は、人と人が心から深くわかり合うことは不可能に近い文化だと言えるでしょう。

その結果、助けてほしくてもそれを家族や友達に言えない、すなわち、家族がいても家族がいない、友達がいても友達がいないという状況に陥り、常に孤独や寂しさを抱えたまま一人で生きなければならない無縁社会の日本になっています。

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