【20171220】知識を詰め込む教育~自分で考えられない子どもたち

おはようございます。ノ・ジェスです。

本日も、心が痛まない社会を創る
リーダーを応援するメッセージを発信しています。

■認識技術とは?

科学技術が
物質を変化、移動させ
世の中を便利にし
人間の体に満足と快適さを与える技術であるならば

認識技術は
観点を変化、移動、上昇させ
人間の心を最高にスッキリ、ワクワク
健康な状態に案内する技術です。

■■コラム 知識を詰め込む教育~自分で考えられない子どもたち

よく日本の子どもたちは
「自分で考えられない」
「意見を主張できない」
「指示されないと行動できない」
などと言われることがあります。

その背景には
知識をたくさん覚えることを重視した
今までの日本の学校教育があります。

子どもたちの覚えた知識が
正しいのか、正しくないのか
それを評価するのが基本であり
学校における日ごろの成績はもちろん
入学試験による合否に関しても
すべてこの評価基準によって決まります。

子どもたちは
そのような評価制度のなかで
人よりもたくさんの知識を覚えて
いつも評価されることを気にして
大人たちの正解に合わせているのです。

それでは
自分で考える力が育つはずはありません。

最近では、ディベートのように
知識を覚えることよりも
知識を活用する力が必要だ
という声は高まっていますが
どんなやり方をするにせよ
最後には誰かがそれを
評価しなければならない
という点については変わりません。

知識をたくさん覚えたり
知識を上手に活用できたとしても
最終的にそれは点数に変わります。

では、
「知識」とは何でしょうか?

そして
それはどのようにつくられると思いますか?

人間は5感覚によって情報データを得て
脳の認識の処理作用によって
観察・観測をします。

そして
その観察・観測したものを
情報データ化するときに使うのが
暗記言語であり
さらに
その暗記言語の単語をつないで
論理化、理論化、学問化したものが
知識となります。

つまり
人間のあらゆる知の土台は
「5感覚の脳の観点」が
基準になっていると言えるのです。

しかし、知の基準軸であり
観察・観測の根本道具となっている
脳は不完全であり
5感覚によって得られる情報データも
非常に限られた範囲のものとなるので
とても正確とは言えません。

結果的に、人間流の独断的な
観察・観測になってしまう
という問題を解決しないまま
そこからつくられた
知識ベースの評価基準によって
子供たちを評価しているのです。

今までの教育では
この最も根本的な問題について
議論されることはありませんでした。

認識技術は、まず
「5感覚の脳の観点」を知ることから始まります。

NR1Dayセミナーでは
観点の問題を知り、観点の次元上昇による
真実の世界へと案内する
たったひとつの「真実を知る鍵」をお伝えしています。
http://www.nr-japan.co.jp/service/nr1day

本日も読んでくださり
ありがとうございました。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク