【20201110】信じると疑う、どちらが智恵ある生き方か 令和哲学カフェNo.115

おはようございます。ノ・ジェスです。

昨日は第115回令和哲学カフェ
「ウィトゲンシュタインと令和哲学」3日目
が開催されました。
毎回多くの方にご参加いただき
ありがとうございます。

今回のWHTのテーマは
「疑って生きること、信じて生きること、
どちらが智恵ある生き方なのか」でした。

実は、両者は
100円玉の表と裏のような関係です。
疑うことなしで信じることは成り立たず、
また、信じることがなくては
疑うことは成り立ちません。

令和哲学で疑うことと信じることを
イコールで結ぶとしたら、
こんな論理になります。

全てを疑うということは、
時間も空間も存在もないということであり、
全てを否定するAll Noの世界です。
そうであるならば、男も女もないはずですが、
男も女もあるようにみえます。
時間も空間もあるようにみえます。

全部を否定した時に
すごすぎる、何でも無限にできる世界がある
とわかります。
生まれることも死ぬこともないのに、
生まれることも死ぬこともできてしまう
無限の可能性そのものの世界と出会います。
疑いながら
ガンガン楽しく生きるようにさせるのが
哲学の用途、仕事でもあります。
疑うことから出発するのが哲学であり、
だからこそ
哲学者は智恵を得る確信があるのです。

目でみて生きることは疑いだらけ、
不安だらけで大変です。
事実(fact)にも、力はありません。
人は自分の信じたいように信じ、
思いたいように思うからです。
不動心でアートなライフスタイルで生きるには
哲学が絶対必要です。
今まで、みえる世界は
科学が徹底的に開拓してきましたが、
これからは科学が入れない世界を
哲学が突破していきます。
もっと可能性ある世界を拓いていくためにも
学問革命、教育革命が必要です。

次回の令和哲学カフェは
11/10(火)21時からです。お楽しみに。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク