【20210804】愛の没入とはどういう状態か 令和哲学カフェNo.287

おはようございます。ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ第3期の
第6弾が始まりました。
期間テーマは
「今ここ最幸の遊び革命
~Recreate家族☆Recreate市民☆
Recreate国家☆Recreate宇宙へ~」
です。

ナビゲーターは、4児の母でありながら
ITベンチャー企業JeiGridでの教育事業や
ジーニマミストモデルとして活躍中の
善家圭さんで、開催していきます。

今回はヘーゲル哲学を使いながら、
人間の観点からの
「愛の没入とはどういう状態なのか」
をテーマにディスカッションしていきました。

自分がAさんを愛するとは
どういう状態なのでしょうか。
どういう状態であれば
愛にはまっているといえるのでしょうか。

すべての存在は終わりなき変化をしています。
令和哲学では、存在はない
動きが存在させるといいますが
「正反合」を取り入れて表現すれば
どんな形で表現できるのでしょうか。

第一は、愛は与えるものだということは
つまり、愛はすべてを放棄するもの
ということになり、
「独立した人格を放棄する」ことです。

粒子を否定する波動があるように
自分の中には
自分を否定するものがあります。
パートナーができた時には
相手がすべてになる状態、
自分という存在すべてを否定して
放棄ができるようになっているのが
存在の仕組みなのです。

第二は、相手の中に没入した状態で
自分が消えてしまった時に、自分の人格は
相手によって決定されるようになります。
相手の意識の内で相手が自分をどう思うのか
が重要になってきます。

AさんとBさん、お互いがその状態になった時に
Aさんは自分が思う自分は重要ではなく
Bさんが思う自分が自分になります。
BさんはAさんが思う自分が自分になります。
つまり
最高の自己否定だけれど
最高に自己肯定になるのが
AさんとBさんの愛の没入関係になりますが、
ここには束縛と矛盾の問題が起こります。

それが世の中の人間の愛の問題なのです。
その矛盾の問題をどのように
解決していけるのでしょうか。

目をあけた時にみえるのは
自分の意識なのか、意識の対象なのか
何が実在しているのか
対象の内に意識があるのか、
意識の内に対象があるのか
自分の内をみているのか、外とみているのか
意識をみているのか、対象をみているのか
その質問につながるのです。

愛の没入、矛盾の世界が、
どのように解けていくのか
これからの2週間を、楽しみにしてください。

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