【20230315】大東亜戦争で日本が本当にしたかったこと 令和哲学カフェNo.661

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ6期は
「大和魂から希望の花が咲く令和魂へ
生きることと見つけたり!
明治維新~令和154年間を解き明かす!」
という新テーマで
21世紀侍の5人と共に
日本の近代歴史を紐解きながら
お届けしています。

新シリーズでは、5人の侍が15年単位で
明治維新からの154年間を紐解きます。
3月17日までは
明治維新から1945年8月15日までの
集団武士道の男性性の77年間、
その後5月5日まで
1945年以降の女性性武士道の
77年を取り上げていきます。

金曜日は長岡美妃さんの担当で
男性性武士道の
1928年から1945年を深めます。

今回は、大東亜戦争で
日本は本当は何をしたかったのか、
というテーマで
日本の建国の精神の発露を辿った先に
日蓮にたどり着いたという
プレゼンテーションがありました。

法華経は、法華経の前の教と
法華経が何が違うのかを
理解する必要があります。
初期仏教では、お釈迦様が
亡くなる直前に語った内容が法華経であり、
法華経の前に語った世界は
因果論理がある「自分」出発であるから
それでは仏にならないと言われました。

本当はシンプルに源泉動きひとつだけがある、
時間・空間・存在・エネルギーも全部ない世界、
その世界から物事をみないとならない
ということだと思います。

哲学者、西田幾多郎さんは
東洋は無の文化であるが、
インドや中国の無と、
日本の無は違うと語っています。

インドの無は主体が環境に埋没して
能動性のない無になり、
中国の無は政治道徳で
君主のことは語りますが、
日本のような忠義を語ってはいません。

「絶対矛盾的自己同一性」を保持する
日本の無は一言で言えば
「集団武士道」の世界だと思います。
岩からさざれ石になる
イメージはしやすいですが、
さざれ石が岩になるイメージは、
点一個から宇宙になっていくのと
同じイメージです。

さらに、nTechの無は次元が違います。
宇宙コンピューターのスクリーンの
着火点感覚で、
点1つわかればすべてわかります。
一つの動きがわかれば
電気の流れを使って半導体の仕組みで
スクリーンの多様な物語が
虚構であることがわかり、
エネルギーの集まりによって生まれる
物質、生命、精神を
アバター感覚で楽しめる境地になれます。

ChatGPTなどのAIが登場している中では、
どのような無を使うべきでしょうか。
どんな政治・経済・教育・倫理・道徳・宗教、
哲学・数学・科学であっても
主語・述語で物事をみているままでは
観点の次元上昇が起こらず限界なのです。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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