【20230525】朱子学と陽明学の違いからみる韓国と日本の違い 令和哲学カフェNo.711

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェは4年目・7期に突入し
「日韓関係のアモール・ファティ!
日韓兄弟国家宣言でワンワールドになる」
を掲げ、デジタル認識技術による
日韓兄弟国家、
教育ビジョン同盟プロジェクト
をテーマに開催していきます。

6期では明治維新から154年間の
日本の近代歴史を深めましたが、
7期では日韓の関係性から
歴史の流れをリテラシーしていきます。
30年間ごとに分けて
月~金曜の5人の侍で担当し
ディスカッションで
深めていきたいと思います。

火曜日は黒田麻衣子さんが担当し
1898年から1927年の
日韓関係を整理しました。

韓国と日本は同じ儒教の国でしたが、
なぜ日本は自ら近代化に成功して
植民地をつくる側になり
朝鮮は未来勢力をつくれずに
植民地にされる側に
なってしまったのでしょうか。
そこに朱子学と陽明学の違いがみられます。

朝鮮は、とことん真理を探究して
真理のロゴスを把握して
知の完成を目指す朱子学を土台としました。
「何のために(For)」が一度決まると、
そこにオールインして、
固定観念になる特徴が出ます。

日本は、正しくないことを正しくさせて
知の完成をしていく、
陽明学を土台としました。吉田松陰や
明治維新のベースとなっていますが、
道徳実践行動を重視する陽明学では、
Forだけでなく、
Of(主体)とBy(道具・手段)が
必要になります。
知の完成のレベルが違うのです。

韓国は「自分の民族の方向性を決めるのは
その民族がやる」というForによって
万歳独立運動が盛んになりましたが、
OfとByがないままで、共同体の秩序、
近代国家をつくることは難しい状態でした。
For(目的)だけで走ることは大きな問題です。

明治維新は、
刀は人を斬るものではないことを
わかった人たちが成し遂げた世界でした。
しかし
Of、By、Forのバランスをとって近代化した
日本の成功を理解せず、
伊藤博文を暗殺してしまったことで、
その精神を殺して軍国主義に
走らせてしまったと思います。

今の日本でも「世界平和のために」と
Forだけになってしまうことは
危ないことです。
朝鮮の歴史の涙をわかれば、
いかにForだけでは危険で、
滅亡につながるのかがわかります。

核を持たないのであれば、
核を持つ国や人間を
どのような方法で制圧して勝利していくのか
OfとByの伴った世界戦略が必要です。

私が提言し実践しているのは
とんでもない教育というByによって、
人間の判断基準を国家‣民族で収斂させずに、
源泉動きのOfに収斂させる勝負で、
全世界の国家民族を超えた信頼関係、
ピース勢力を短期間で構築することです。
Forだけに惑わされずに、OfとByにも
ぜひ関心をもってほしいです。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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