【20231023】映画『ドライブ・マイ・カー』の解説と人間の罪悪感の機能 令和哲学カフェNo.801

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ7期は9月11日より
新しいテーマが始まりました!
新しいSAMURAI 5人と共に
「人間とは」を深めていきます。

月曜日の侍は小林隆人さんです。
今回は、特派員の大野夏希さんより、
映画『ドライブ・マイ・カー』を題材に
「道徳✕人間とは」を深めた後
小林さんから
ドゥルーズのアンチ・オイディプス
についてプレゼンテーションがありました。

この映画の中で象徴的な人間観として
「罪悪感」が取り上げられました。
罪悪感はどのように生まれるのでしょうか。
お母さんのお腹から出た時に
へその緒が切られ、
人間はつながりの不在で
不安・恐怖、分離・断絶・孤独が生まれます。
つながりの不在から安心・安定ができなくなり、
自分のことを表現できる言語もなく
感情も表現できない状態で
人間は初期セッティングで
自己否定するようになっているのです。

結果的に、自分が何者かの表現もできずに
必要とされず関係構築ができないので
意思決定もできずに、自分の天命を全う
することもできなくなってしまいます。
大きな夢と希望を具現化するには
関係構築と意思決定ができる
ことが不可欠ですが、それができずに
大事なことを守れない状態から
罪意識にいくようにみえます。

人間は基本的に
自分を否定するために生まれます。
普通の生活をしていても
「お母さん100点とらなくてごめんなさい」
「一番になれなくてごめんなさい」
「服を汚くしてごめんなさい」など
小さい頃からの自己否定が根深いのです。

罪悪感を悪いものとするよりは
仕組みからみた時に
自己否定するパワーを通して
クオンタムジャンプを起こす
エンジンになれるのではないかと思います。
大きくすべてをスッキリさせたいという
強烈な欲望を具現化する圧縮エンジンです。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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