【20231130】千利休茶道・和敬清寂の精神とは 令和哲学カフェNo.826

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ7期では10月30日より
さらに新しいテーマが始まりました!
新しいSAMURAI5人と共に
「精神とは」を深めています。

火曜日の侍は大場龍夫さんです。
武士道の義・勇・仁・礼・誠・名・忠
の徳目に沿った心感覚を整理しています。
今回は礼のパート
「千利休茶道・和敬清寂の精神とは」
がテーマでした。
千利休の和敬清寂の精神について取り上げ
「AI時代の今、活かされるべき
和・敬・清・寂の精神のポイントとは」について
ディスカッションをしました。

和敬清寂は、武士の世界ならば
生死を超えて刀と刀で出会う
真剣勝負と言えます。
茶道は出会いの芸術であり、
武士の刀の出会いよりももっと緊張して、
負けないくらいの生死を超えた
出会いができます。

一番小さい点を通して
脳と心が出会いますが、これは
究極の積分と微分の出会いです。
集中して源泉動きが点を投げた時に
脳が受け入れて
点から宇宙をつくって、
自分と自分の宇宙をオールゼロ化して、
点を戻すことができるか、
という真剣勝負です。

無限大の出会いを消して
茶道は1:1の出会いだけになります。
千利休の有名なエピソードにある、
無限大の朝顔を一輪だけ残すことのように、
とても緊張感のあることです。
一つは愛で一つは待つ美学で、
という風に一つだけを残すこと、
人と人が心で出会うことは
どれだけミラクルでしょう。

nTechで言うと、
一番小さいスイッチの点一個だけを
投げて勝負した時に、それを使って
脳が不可能性そのものの自分まで行き、
再びスイッチの点一個に戻る
ということになります。
どこまで深く精神・意識・意図を
読みとって戻っていくか、
それが和敬清寂です。
刀の出会いが身体を切る真剣勝負なら、
それを心で、
1:1の出会いをするのが茶道です。

千利休がやろうとしたのは
刀に負けないくらいの緊張で
純度100%の心と心が出会う世界なのです。
拙著『日本の和心』に
くぼみにみる茶道の和心として、
利休の出発の想いを記しています。
相手とどのくらい真剣に向き合うのか、
真剣勝負の世界を
刀による戦争の文化から
茶道による平和文化に
パラダイムシフトさせようとした
千利休の和心を
今の茶道に復活させるべきと思います。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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