【20191118】令和という新元号に寄せて シリーズ32

おはようございます。ノ・ジェスです。

■■コラム 令和という新元号に寄せて シリーズ32

今回は、歴史の脈絡からみて、
なぜ映画「ジョーカー」が
今のタイミングで生まれたのか、
そして私たちがそこから
何に気づくべきなのかと
世界基軸教育について語ってみたいと思います。

映画「ジョーカー」は、
人間一人ひとりが
自分の宇宙、自分の映画をみて、
自分のゲームをしているということ。

すなわち今の時代が個人主義の
末期ガンの状態であることを明らかにさせる映画でした。

何が客観的事実なのか、
主観的妄想なのかの境界線が明確ではなく、
お互いの映画解析が違う、お互いのゲームルールが違う。

お互いの住んでいる宇宙が
違う宇宙であることに気づかないまま、
万人による戦闘や傷つけ合いばかりで、
愛と信頼が住める場所は
針の穴の空間さえもない、
不信・不安・恐怖だけがある世界であることを
この映画「ジョーカー」は訴えています。

この続きは、ぜひブログをご一読ください。

https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/11/17

本日も読んでくださり
ありがとうございました。

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