【20201104】マルクスと『鬼滅の刃』令和哲学カフェNo.112

おはようございます。ノ・ジェスです。

昨日は第112回令和哲学カフェ
「マルクスと令和哲学」5日目が開催されました。
毎回多くの方にご参加いただき
ありがとうございます。

今、日本社会では『鬼滅の刃』がブームですね。
経済にも大きく貢献しています。
私からみると鬼滅の刃の映画は、
物質論と精神論をうまく組み込みながら、
心の世界が描かれている
非常に哲学的な意味の深い映画です。
このブームが意味することは
日本が心の時代がくることをわかって
刀を手放した侍たちが
刀を取り戻したい、侍に戻りたい、
という何かが無意識レベルで
反応しているのではないでしょうか。
令和哲学カフェでも11/12~11/18の間で
『鬼滅の刃』の解析をすることにします。
深い世界観の共有ができると嬉しいです。

今回は、マルクスからみた労働(動き)と
令和哲学からみた労働(動き)を比較して
全体像を整理してみました。
マルクス哲学と令和哲学の共通点として
1.人間の再創造、2.社会的構造改革、
3.歴史文明を発展させていく人間本性を
具現化して人間解放に向かう
という点があります。
マルクスは社会構造を変えるのが哲学であると
社会変革の哲学を提唱し、闘争しながら
社会構造の変革に挑戦しました。
しかし、ビン鳥※の中のレベルでは、
理想を掲げた社会主義が
生産性で自由主義に負けているように
真の変革は困難です。
令和哲学では、人間の根本からの再創造、
観察行為(観点)の上昇により
今ここビン鳥の外と中を自由往来する
「完全認識」を覚醒させ
その完全認識を新たな生産手段とした、
尊厳民主主義への道を描きます。

今の時代はAIが登場し
人間が無用者階級になると言われる時代です。
意識は知能よりも価値がないものとされ、
人間は心が脳に負けて夢の中にいる状態です。
それを目覚めさせようとする覚醒者すら
攻撃しようとする世界ですから
伝えたくても伝わらない
覚醒者の涙があるのです。

心が脳に勝って夢から目覚めることは、
生きたまま完全に死ぬ世界でもあります。
侍の切腹は、腸を切り首を切ります。
そこには完全死のイメージが
あったのではないかと思います。
中途半端に死にたくない。
完全に死んだら完全に生きる。
二度と負けない人間に生まれ変わりたい。
そのような救済の涙をもつ
侍たちの目覚めから、
日本のオリジナリティを発揮し、
人間の可能性を爆発させる
心時代が始まるのです。

次回の令和哲学カフェは
11/5(水)21時からです。
西洋哲学のパラダイムを変えた
一人であるウィトゲンシュタインと
令和哲学がテーマになります。お楽しみに。

→※用語集はこちら
https://reiwaphilosophy.com/community/knowledge-base/words/

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