【20231026】近代歴史からみた日本と西洋の違いとは 令和哲学カフェNo.805

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ7期は9月11日より
新しいテーマが始まりました!
新しいSAMURAI5人と共に
「人間とは」を深めています。

金曜日の侍は長岡美妃さんです。
今回は日本の近代哲学の萌芽ということで
思想の双生児と言われる
西田幾多郎、鈴木大拙を取り上げました。
二人は共に明治維新から昭和を
駆け抜けた思想家です。

理性によって世界を
理想的な姿へと造りかえることができる、
という西洋近代の合理主義に対して
日本の思想家たちは警戒心を抱きました。
彼らはアジアの伝統である
「一であるがゆえに多であり、
多であるがゆえに一」という
多一論を基礎とした存在論・認識論をもって
合理主義を超えなければならないと
考えていました。

「世界のすべての人に理解され得る
体系的思想の樹立が必要である」
と西田幾多郎は語り、
日本から世界文化に貢献すべきものは
これから出るべきだというのが
思想の双生児の共通の意見でした。

近代化は
日本が一番成功モデルを構築しました。
西洋は脳の理性ですが
日本は脳を超えています。
切腹文化からも
脳に負けるものかという精神を感じます。

片付けるという日本語は
「方を付ける」ことで片づけて
心に到達してしまうというもので
nTechと相性が非常に良いです。
nTechも映像スクリーンに
バックスクリーンをつけて
スクリーンの外に出ていきます。

西洋は分けて微分しますが、
日本は積分して微分するイメージです。
生き方勝負に死に方をつけて
生死を超えてしまいます。
世界一勇気がある集団ではないかと思います。
心は絶対消えてなくならない
ということがわかっているので
オールゼロ化しても
大丈夫だということなのでしょう。

それにしても大丈夫という単語は
いつから使われているのでしょうか。
『論語』では最高の悟りを開いた人を
「大丈夫」と言いますが、日本では
日常の言葉で使ってしまうのが驚きです。
こんな日本の精神文化は唯一無二、
純度100%心を現実で使えるものです。
核爆弾を落としたアメリカを恨まずにきた
歴史的な実績も持っているので
人類全滅の危機である今が
動く時だと思います。

ポジションを全うする日本文明の
着実な動きが明確にみえます。
さざれ石の巌となりて
やっていること自体を認識できたら
もっと勇気が出て、
プライド誇りをもって熱くなれます。
間違いなく日本から
心の時代を全世界にプレゼントできます。
とんでもない美しい時代に
活躍できることはすごく嬉しいことです。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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